この道わが旅 夢幻工房入り口 -> 2次創作



四畳半


千早Cランク以上でランクアップコミュを見たプロデューサーさんだけ、見てくださいね。










──あの頃は 何も 怖くなかった──



──ただ 貴方の優しさが 怖かった──



3月。時折吹く風が温まった身体を冷やす。
空を見上げると灰色の雲がゆっくりと流れている。先ほどまで降っていた雪は止んで静かな世界が溶けてゆく。
冬も終わりかけているというのに……春はまだ遠いかな? そう思いながら待つ。

……まだ、彼は出てこない。

少しため息をついて後ろを見上げると高い煙突から白い煙が立ち昇っている。
その様子をボーッと眺めていると肩を叩かれた。驚いて振り向と笑顔の彼が頭をなでてくれた。


「待ったか?千早」

短い言葉。また子ども扱いして……でも、それが心地いい。

「ううん、今あがったところ」


静寂に包まれた街。寂れた商店街を抜けて小さなアパートに帰る間、彼のコートに包まって歩く私。
暖かいコートと暖かい彼の身体。こんなにも安心するのはなぜだろう……ふと、疑問に思う。

「……ね」

「ん……?」


見上げると彼の無精ヒゲ。ふと、手を伸ばして触ろうとすると逃げる彼の顔。

「……ヒゲ、嫌いか?」

「んー…………好き」

思わずお互いに笑みがこぼれる。幸せだから安心するのかな……暖かい気持ちに満足する私。
ギシギシと鳴る古い階段を上って部屋の前。私にコートを預けて手馴れた風に鍵を開ける。


かりそめの家族が崩壊した日。すべてから逃げ出したくて私が逃げ込んだ部屋。

無気力に部屋の隅でじっとしていた。涙があふれて止まらなくて、真っ赤な瞳と枯れた泣き声だけの世界。
鳴り響くケータイもいつしか電源が切れ、静寂が支配しようとするも私の嗚咽がそれを許さなかった。


「千早!!」

幻聴が聞こえるようになったのかと、耳を疑った。私が唯一心を許せる彼の声。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて……私も弟の所に召される日が来たのかと顔を上げた。

「…………ぁ、ぁぁ……」

「…… ………… ………………」

唇を震わせて、瞳を潤ませて、それでも何も言わずに私の頭をなでてくれる彼。
あぁ、神様……私の一番大切な人に最期に会わせてくれたのですね……感謝します……。

そのまま意識が遠のき、私の記憶はここで一時途切れた。



気がつけば真っ白い部屋で眠っていた。

「…… ……ん」

ヨレヨレのスーツ姿で私の左手をしっかり握り締めている彼。もう片方には点滴の針が刺さっている。
私が起きたのに気がついたのか笑顔を見せてくれる。少しやつれた、でもうれしそうな顔。

「おはよう、千早……」

呟いて彼は頭をなでてくれた。枯れ果てたはずの涙が自然と頬を伝ってシーツに染みを作る。
とめどない涙。悲しみの涙は枯れ果てても、嬉しさの涙は枯れ果ててはいなかった。


いつまでも、いつまでも、いつまでも。涙が止まるまで私をなで続けてくれた。




冬の冷たい風でカタカタと鳴る窓のカーテンを閉めてコタツに入る彼。
大きな土鍋にグツグツと野菜が煮えている。彼が好きな鶏肉の水炊き。もちろん私も好き。
向かい合わせに座るとコタツの中で足が触れる。冷たい足先が心地いい。

「そろそろかな?」

「まだですよ、ふふっ」

土鍋のふたを開きたくてうずうずしている彼の様子がおかしくてしょうがない。
そういうところはまだまだ子供なんだなぁ……年上なのに思ってしまう。


静かだと寂しい、と つけていたバラエティ番組が終わって、テレビの向こうでは同じ事務所だった女の子が満点のスマイルで歌っていた。

「……消そうか?」

「ん、見る」

グツグツと煮える土鍋を忘れて、まぶしく光り輝く笑顔で歌う彼女に見入る。
歌い終わって少年のような さわやかな笑顔。私も自然と微笑が漏れてしまう。

あのカクテルライトの中に立っていた記憶は、残念ながら遠い昔だ。
たった数ヶ月。世間ではそう言うかも知れないが私にとっては、もう戻ることのできない場所。


「戻りたい?」

食べながら呟く彼。私の答えは……決まっていた。

「ううん」

「そっか……なら、いいんだ」


歌を唄えればそれだけでよかったあの頃。
何にも使わずに貯まって行くだけの無意味なものが、私を助けてくれるなんて思っても見なかった。

今はまだ、戻りたくない。

だって……この幸せが全部壊れてしまいそうな気がして。
一度知った幸せの味はあまりにも甘美で、身も心も溶けてしまっていた。




6月。雨の日は嫌い。私の心が黒く染まるのがわかるから。


「……目を……開いて…………」

スーパーへの近道に、と公園を走ってはしゃぐ弟が目の前の国道に飛び出した瞬間の出来事だったそうだ。
暗い灰色の冷たい部屋で対面した白い顔の弟は安らかに眠っているように見えた。

声もなく泣く母とその肩を抱く父。ちょうど反対側のスーパーから飛び出した子供を避けたトラックが、弟に向かって突っ込んでくるのがスローモーションのように見えたと母は言っていた。

私の歌が好きだと言ってくれた弟。私が歌うことを好きになったきっかけになった弟。私は貴方に聴いてもらえればそれでよかった。
もう、この世にはいない……大好きな弟。雨の日が大好きで黄色いカサを持って嬉しそうに母と買い物に行っていた弟。


「お前があの時ッ!!」

「貴方こそ車を出してくれていたらッ!!」

程なくして、大声で罵声を浴びせながら喧嘩をする二人の声が家の中に響くようになった。
家中……それどころか近隣にまで響き渡る大声の理由を知っている近所のみんなは、何も言わずに口をつぐんで関わらないようにしていた。

そんな家の中で数年間耐えてきた私。


……雨が降るといつも弟の声が聞こえる。

「お姉ちゃん。お歌唄ってよー」

ニコニコと私の部屋に入ってきては手を握っておねだりする弟。
そのたびに私は弟をひざの上に乗せて歌を唄った。静かに聴きながら見上げる弟はいつもこう言う。

「雨の日って不思議だよね。お姉ちゃんの声がいつもよりもきれいに聴こえるんだもん」


そんな弟はもういない。そして貴方の大好きだった父と母は、貴方が死んで変わってしまった。
支えてくれるものがなかったから自分でしっかりと立つしかなかったあの頃。あのままだったら私はこの世にいなかっただろう。

ごめんね。お姉ちゃんは……やっぱり貴方のことを忘れられないみたい。
一度も貴方のお墓に行けなくてごめんね。お姉ちゃん、本当は弱い子だから貴方のお墓なんて見てられないの。

でも、今は貴方と同じことを言ってくれる彼が私を支えてくれているから、大丈夫だよ。
もしもお墓参りに行けたら、そのときこそ私は貴方の思い出とともに強く生きられると思うから。
……もう少しだけ、お姉ちゃんを待っててくれるかな……お願い。


「雨の日ってのは俺は好きだな。そりゃ動くのにはいろいろ面倒だけどさ、ははっ……いや、な。千早の歌がいつもよりもきれいに聴こえるんだ……雨の日は」

悲しい瞳で窓際に座って唄う私の肩を、彼がそっと抱いてくれた。


「……悲しいかい?」

「うん……でも、今は平気。貴方がいるから……」

彼の手を握って温もりを確かめる。忘れていた、弟の匂いがなぜかするのは気のせいだろうか。




9月。彼との生活が始まって半年以上たった。

私が退院すると同時に765プロを辞めた彼は、しばらく一緒に居てくれた。
それでも、やっぱり私の蓄えで暮らしていくのに抵抗があったみたいでほどなく働きに出た。

「仕事探して働くよ、千早のためにさ」

その言葉がなぜかとても嬉しくて頼もしく思えた。
すぐに仕事は決まったみたいで毎日スーツで出かけては夕方帰ってくる。

世間一般で言うところの同棲状態の私たちの生活は静かで穏やかに流れていく。


母に教えてもらった料理は玉子焼きだけだった私だけど、今ではいろいろな料理が作れるようになった。
洗濯も掃除も だんだんうまくなってきたように思う。近所の寂れた商店街のおばあちゃんたちからは『ちーちゃん』と呼ばれて可愛がって貰っている。
こんなに幸せでゆっくりとした時間を暮らせるなんて思ってもいなかった。

小さな食器棚には彼とおそろいの食器が並んでいる。バカらしいと思っていた新婚夫婦を扱ったドラマが思い出される。
同棲なんて、ましてや結婚なんて……不幸だけしか生まないと思っていた。少なくとも半年前までは。


「ただいまー」

……ぼんやり考えていたら彼が帰ってきた。暑い中お疲れ様、とかばんとスーツを受け取る。
そんな自分の姿に 一度だけドラマに出演したときのことが思い出される。主題歌を唄っていた縁で 間違えて帰ってきた主人公の男の人に驚く役を貰って演技した。

ガチガチに固まってNGを連発してしまったのもいい思い出。


しばらくして、一緒に食事をして先にお風呂に入る私。

なぜか、彼には内緒で毎日続けていることがある。肺活量のための腹筋とクラシックの音楽CDを聴くこと。それに加えて最新の音楽番組のチェック。
まだ夢を諦めきれていないのか、ただの習慣なのか……。この静かな生活を私はどうしたいのか……。答えはまだ見つからない。

ぼんやりと湯船の中で考えていたら、後から入ってきた彼が頭を撫でてくれた。

「どうした……悩み事か?」

「いいえ……あ、出ますね」


立ち上がろうとすると小さな湯船にもう一度座らされた。
見上げると彼の優しい笑顔が飛び込んでくる。

「千早の好きなようにしろ、ともかく今は俺が居るんだから」

何でもお見通しなのか、それとも彼特有のハッタリなのか。昔はそれでよく助けてもらったっけ?
にっこり笑って「うん」と呟く。満足したのか、彼も笑顔でもう一度頭を撫でてくれた。


その夜は二人で座ってドラマを見た。
おっとりとしたお姉さんタイプだった先輩が主演の、新婚夫婦が上司の無理難題に右往左往しながら 愛を確かめ合うというドラマだそうだ。
主題歌も唄って主演もして……トップアイドルと呼ぶにふさわしい活躍。
見終わってため息をつきながら彼を見上げる。


「……いいドラマですね」

「はは、彼女にはぴったりの役柄だな」

でも、私の頭の中では先輩がドラマの次回予告で言った『私たち、このまま幸せになれるのかしら?』という言葉が不安を大きくしていた。
私はこの幸せな時間をどうしたいんだろうか……。このまま幸せに浸っていて……いいんだろうか?

答えは出ないまま半年と言う時間が過ぎ去り、彼の優しい鎖から逃れられない籠の鳥となっているのが……嬉しいと同時に怖かった。




12月。1年前のあの日のことが鮮明に思い出される。
いつも罵り合いをする家族……だった人たち。その日はやけに静かで、帰ってきた私を見るなり 普段は口にしない言葉を投げかけてきた。

「千早、大事な話があるからこちらに来なさい」


かりそめの家族ゲームに加わらざるを得なかった私にゲームの終わりは唐突に宣言された。
気付いていなかったといえばウソになる。弟が死んでしまったあの日からこんな日が来るのは容易に想像できた。

「お父さんとお母さんは……よく考えた結果、離婚しようと思う」

「もう、疲れてしまったの。千早も分かってくれるでしょ?」


……この期に及んで私に何を分かれと言うのか……一瞬気が遠くなった。
目の前が真っ暗になるって言うのは こういうことだと実感する。その間も二人の口から無意味な自己弁護の言葉が並ぶ。

何も聞こえない。何も見えない。何も感じない。

「聴いてる?千早……」

「大事な話なんだ、きちんと聴いてくれ」


私は無言で立ち上がった私はそのまま家を飛び出し、その日はカラオケボックスで夜を明かした。

朝一番に不動産屋のおじさんに今すぐにでも入居できる場所はないかとしつこく食い下がった。
真っ青な顔の私を不審に思われながらも おじさんに紹介されたのが四畳半の小さなアパート。
鍵を受け取って部屋に入ったとたん力が抜けて涙があふれて……。気がつけば病院にいた。


目の前に並んだ銀のリング。

法律の上では まだ家族だと言われる人たちだけど、家族だとは言いたくもないし連絡も取りたくない。
でも……家族が欲しくないかと問われれば答えは決まっている。

貴方が欲しい。一番愛しくて切なくて心強い貴方となら歩いていける、どこまでも。

彼と私でお金を出し合って買ったおそろいの指輪。薬指につけるのはまだ早いけど本当はつけたくてたまらない。
雪降る街中はクリスマス一色で自然と微笑みがこぼれて思わず彼を見上げてしまう。少し照れてそっぽを向く彼の腕にギュッと抱きつく。


宝石店から外に出て見上げると、街頭の大きなテレビでクリスマスソングを歌っている女の子。白い衣装がまぶしい……あぁ、彼女は……。
同期のあの子は いつもメソメソ自信なさげでイライラしていた自分を思い出す。今じゃ立場は逆……私の方がメソメソしてる。

「千早?」

彼の優しい声と頭を撫でる手。


「……がんばってますね、彼女」

「あぁ、最近は歌もうまくなったそうだよ」

チクリと胸が痛む。歌……過去のことなのに、なんでだろう。自問自答するけど答えは決まっている。
でも、その決断に自信が無い。彼は喜んでくれると思っているけど……やっぱりダメ。一度喪失した自信は簡単には戻ってこない。

弱気な私の頭を撫でながら彼は優しく微笑むだけだった。


楽しい時間が終わってアパートに帰ってきた深夜、小さな布団で寄り添って眠る私たち。

一度だけ迫ったときに言われた言葉が唐突に思い出された。
彼のために身も心も捧げようとしたあの日。私をまっすぐに見つめて彼は呟いた。

「慰めで抱くのは、フェアじゃないから」


抱いて欲しかった。私は彼に抱いて欲しかった。でも、抱いてもらえなかった。
泣きそうになりながら、唇を噛み締めながら、彼の瞳に映る自分自身を見つめた。

「千早」


名前を呼ばれただけで胸がときめいて おなかの辺りがじんわりと熱くなる。
でも彼は抱いてくれなかった。その代わり頭をなでてくれた。

「いつか、わかる日が来るよ」


それ以来、私は彼の背中を抱きしめて眠っている。
もう、実は薄々気づいている。彼があのとき抱いてくれなかった理由も、私が我慢できている理由も。




季節は巡り、2月。あれから1年……長いようで短かった幸せの終わり。

「こう呼ぶのも久しぶりですね……プロデューサー」

「千早。ははっ……なんかちょっと恥ずかしいな」


小さなアパートからすべての家具が運び出されて、がらんとした部屋に立つ彼と私。

彼が765プロを辞めたなんて言うのはウソだった。事務所でデスクワークしながら私が帰ってこれる場所を守ってくれていた。
私の家族だった人たちとのことは、先輩も後輩も同期の子も みんな知ってた。素直になれなかった私を心配して、でも彼に全てを任せてくれていた。

へこたれるなんて情けないなんて言いながら律子と伊織は暖かく迎えてくれた。一番仲良しだったあずささんは何も言わずに抱きしめてくれた。
真も雪歩も春香も、みんな泣いてくれた。やよいや亜美と真美、美希は屈託のない笑顔でおかえりと言ってくれた。

事務所の一室で、そんなみんなに囲まれて涙が出た。彼だけじゃない。みんな、みんな大切な家族だったと初めてわかった。

怖かったのは必死に幸せをつなぎ止めようとしていたから。
一度知った優しさを捨てるなんて……恐怖以外の何物でもなかった。

若かった、と言っても1年と少し。何も怖くなかったのは彼が居てくれたから。怖かったのは彼が居てくれたから。
でも、今は違う。私は私……如月千早。

「プロデューサー……私、もう一度……」


彼は相変わらず……微笑みながら何も言わずに頭を撫でてくれた。





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